過保護は子どもをダメにする!

お問い合わせはこちら

ブログ

過保護は子どもをダメにする!

2020/03/25

過保護は子どもをダメにする!?

自分の経験からわかること!

過保護は子どもをダメにする!

 これは、自分の経験から学んだことです。

 自分で考えることができない子どもにしてしまいます。

 発達障がいの子ども、疑いのある子どもを多くみてきました。

 そのなかで、過保護が原因のものが多かったです。

 何でも親がやってしまってできなかったり、先に指示してしまったり。

 できないのではなく、経験がないだけです。

 自分で考える前に、言われるから言われるままに行動しているだけだったりします。

 

 

私の経験は

 

 子どもの頃の私は、第1子で体が弱かったこともあり、過保護に育てられました。

 両親、祖父母、2人の叔母がいたので、6人の大人たちの愛情を受けて幼少期を過ごしました。

 自分で考えなくても、言われた通りに動いていればいいという感じです。

 

 中学生までは、親や祖母の言う通りに、思うままに行動していました。

 自分の意見を言うことは苦手でした。

 話すことや人と関わることが苦手でした。

 自分で考えて動くこともなかったです。

 

はじめて自分で考えた

 高校受験を前に、自分の意見を言いました。

 父の思うレールからはずれた初めの出来事です!

 父が思う私の人生は、女の子だから商業科の高校を出て、就職、結婚、出産でした。

 小さな反抗ではありますが、普通科に進学しました。

 本当は別の高校に進学したかったのですが、遠いから大変だと近くの普通科に進学しました。

 

 高校に行っても、過保護は続きました。

 高校1年のとき、クラスでキャンプに出かけたのですが、私だけキャンプ場まで両親が送り迎えをしてました。

 高校まで、父親が迎えに来ることも多く、ちょっと友達と寄り道してたら、父親が探しまわっていたことも多かったです。

 

 高校1年の冬、友達に誘われた補習授業で人生が大きく変わりました。

 友達は、欠点が多かったので、成績の悪い生徒のための補習だと勘違いしていたのですが、進学者向けの補習でした。

 そこで、教えてくださった先生に言われるままに、受験勉強をすることになりました。

 家にいるのが嫌だったのもあり、毎日勉強する場所も与えてもらえ、全教科をみてもらえたので、居場所ができた私は、みんなでワイワイ楽しみながら受験勉強をしていました。

 塾に行ってお金を使うわけでもないので、勝手に受験勉強をしていました。

 教師をしてわかりますが、勉強をする環境を整えてくださった先生方には感謝しかありません。

 いくら勉強しても、簡単に行けるわけがないと父には言われ、合格したら進学してもいいと約束してもらいました。

 大学進学に反対していた父ですが、受験にはすべて車で送迎、父が仕事でどうしても行けないときは、母が付き添ってくれてました。

 

 ここまでの私は、自分で考えて動くというよりは、言われるまま行動したら大学進学していたという感じです。

 親に加えて、先生までも過保護でした!

 今から思うと、学校でも家でもわがままを通していた感じがします。

 

箱入り娘が箱を蹴破った!

 大学生になると、自宅から通える大学という条件で進学しましたが、大学が遠かったsurprise

 受験には、車で高速道路を使って送ってもらったのでわからなかったけど、実際に通うと片道3時間、往復6時間です。

 しかも、大学は自分で考えて行動しないとダメなので、いろんなことで挫折してしまいました。

 夏休みに、父に大学を辞めたいというと、1年分の学費は払ってるから、1年だけ続けるように言われました。

 父が勝手にバイトも決めてしまっていました。

 頼まれた叔母が、朝いきなりやってきて、バイト先に拉致されて行きました。

 公営プールだったので、体育会系の男性ばかりのところに、何の心の準備もないまま放り込まれて、どうしていいかわからない状態でした。

 しかも、やたら話しかけてくる!

 高校のとき、理系にも関わらず、(理系が少な過ぎて)男子が1/3しかいませんでした。

 大学も、数学科なのに男子は1/3しかいません。

 免疫が少な過ぎて、パニックでした。

 

 運動音痴の私は、スポーツができるとは思っていませんでした。

 親にもできないと言われ続け、運動音痴と思いこんでいました。

 でも、1ヶ月ちょっとのバイトの中で、いろんなスポーツをする機会がありました。

 水泳は、中学校ではやっていません。

 高校では、プールに入るけど「無理です!」って言ってほとんどつかっているだけでした。

 教員採用試験に必要だからと、早朝に指導してもらうことになりました。

 顔もつけられないのに、水泳をしなければいけないの?と思いながら、練習をしました。

 運動公園だったので、いろんな競技ができます。

 閉園後に、硬式テニスをやったり、卓球、グランドゴルフなど、いろんなスポーツを楽しみました。

 初めてボーリングにも行きましたが、手取り足取り教えてもらったので、最初からスコアが100を超えてました。

 

 1ヶ月ですっかり体を動かすことが好きになり、男性の中で1人でも普通に過ごせるようになりました。

 大学でも、35人のクラスだったので、グループはすでに出来上がっていたのですが、自分のいるグループではダメだと思って、思い切ってグループを変えました。

 今までの自分ならなかった、クラスで中心になっているグループに入りました。

 世話をやくのが好きな友達と一緒になって、4年で卒業できました。

 男子のグループとも仲がよくなったので、レポートやノートなど協力してもらえるようになりました。

 

 父に無理矢理させられたバイトがきっかけで、自分を変えることができました。

 父は、かなり後悔していました。

 これをきっかけに、私の操縦不能になってしまいました。

 結局、就職も結婚も出産もしていないので、何1つ父の願いは叶いませんでした。

 

 私は、この頃から 

 いろんなことに挑戦するようになりました。

 いろんな人と関わるようにもなりました。

 

 この経験があるから、わかることが多かったのだと思います。

 私の子どもの頃に発達障がいというものがあれば、分類されていたのかもしれません。

 私たちの子どもの頃から、家電の発達などで、子どものことをかまう余裕ができてきたのだと思います。

 過保護に育った私たちの世代が、子育てをするようになり、それが受け継がれているのだと思います。

 最近は、祖父母が学校に抗議にきたり、相談にくるケースも増えているそうです。

 孫のことだけでなく、子どもの親のことを相談に来ることも増えてきているそうです。